憲法などについて勉強した

勉強をしました。オスマン帝国は、1683年の第2次ウィーン包囲の失敗後、ヨーロッパの領土をしだいに失っていきました。さらに18世紀末から19世紀になると、アラブ系の諸民族が自立の動きを強めたことにより、国力の衰えは明らかになりました。このためオスマン帝国は、ギリシア独立戦争・エジプト=トルコ戦争などで劣勢にたたされ、「東方問題」は深刻化しました。このような状況のもとで、オスマン帝国は行政・司法・財政・軍事の西欧化をすすめるタンジマートとよばれる改革を実施しました。しかし、クリミア戦争などのため西欧諸国から資金を調達したことにより、1875年ころには国家財政が破綻し、帝国は経済的にイギリスやフランスに支配されるようになりました。この間、若い知識人らの間に自由主義が受け入れられ、76年にはミドハト=パシャによってアジア最初の憲法としてミドハト憲法が制定されましたが、77年にはじまったロシア=トルコ戦争のために憲法は停止されました。http://www.cottonclaw.com/